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2012年2月14日火曜日

原子力発電所の水素爆発と放射能

水素爆発を起こしたのは
1号機が
3月121531分(35分との説あり)
3号機が
314111
でした。

無責任な中間報告で水素爆発の原因が一応、公式的に

爆発したのは
ベントにより
水素が原子炉建屋に漏れて
爆発した
とのいい加減なものになってしまいました。

無責任ですが、気分が悪くなりますので私は中間報告なるものは読んでいません。
昨年の暮れ、TVニュースの解説でその存在を知った程度です。

さて水素爆発と放射能の関係を調べてみましたのでお知らせします。

こんなこと、もう終わりにしたいのですがどうも政府は日本を核燃料からでる放射能のゴミ捨て場にする気のようです。

そういう風に思えてしかたないのです。

資料は
です。
配置図は

モニタリングポストは

です。

各モニタリングポストの最大値(μSv/h)とその出現時刻は
場所   最大値μSv/h 出現時刻
MP-   150             3131620
MP-   820             3140400
MP-   481             3140920
MP-  1557.5          3131352
MP-    6.9         3141246
MP-    4.2         3141234
MP-  1292             3211706
MP-   80              3122110
管理棟        0.065     3111810
事務本館北 5055             3181700
正門         1932             3211830
正門付近  11930             3150900
西門           2434             3151215
体育館付近      0.054     3111720
体育館脇     752             3161703

なかでも最大は正門付近の11930μSv/h=11.93mSv/hです。
年間量に換算するには24時間×365日=8760を掛ければよいので
11930μSv/h=11.93mSv/h=104506.8mSv/
一般の人の年間許容被曝線量は1mSv/年のようです。 


各モニタリングポストの値を見てみましょう。
正門付近

正門付近はベントや水素爆発と関係なく1516日にかけてまるで格納容器の中身が出てきたような印象をもちます。(多分印象ではなく証明できないだけで事実だと思います。)
周期的にほぼ12時間おきに出ていますから人間が操作したのかもしれません。

ピークの後に時間的にとの程度まで下がるか確認しておきます。
半日で500μSv/h程度まで下がるようです。




正門

正門付近と正門でこうも違うのかとの思いです。
正門付近は直接放射能が吹きつけ、正門はその余波が達したと言うことかもしれません。

事務本館北

データがないだけ(?あるのかもしれないが・・)で17日以前から高くなっていたはずです。
1516日にかけ格納容器の放射能が外にでて、その後も小刻に放射能が外に出ている(
dasiteiru )のだと思います。
西門

15日のピークは正門付近に吹き付けた放射能の余波だと思います。
18日は事務本館で1つのピークが出ています。おそらくそのピークがでている時間帯のデータが途切れています。恐らくピークがあったのだろうと思います。
逆に西門の19日のピークに対応する時間帯は事務本館では途切れています。
MP-4
東電は

312日に


とプレスを出しています。

制限値を超えたのはMP-4です。

爆発直前にピークがでますが、東電は121430分に格納容器圧力低下を確認しベントによる圧力低下と判断しています。
1430分ころに上空に向かって廃棄筒より放射性物質を出し、その放射性物質が約1時間後に落ちてきたことになります。
ピークは爆発前でベントによって生じています。
爆発によりMP-4の放射能は高くなっていません。
画像は省略しますが、1号機の爆発は水平方向の爆発でした。
もし、ベントで漏れた放射能と水素が原子炉建屋に漏れたなら爆発で正門付近上の放射能が漏れたはずです。
奇跡的にどのモリタニングポストでも水素爆発による放射能は観測していなかったことになります。
常識的に、1号機の原子炉建屋の中には入れなくなるはずですが・・・
3号機の爆発は314111分で、この爆発の前のピークは912分です。
ベントは314924分ベントしたそうです。(メモ30
MP-4ではこのときのベントを捕らえられなかったようです。

MP-1

1号機のベントや爆発との関係は私にはわかりません。

MP-2

ベントや爆発との関係はわかりませんがかなり高い値を観測しています。
MP-3

ピークは920分です。ベントは924分ですが・・
ベント後1時間程度たってピークを向かるはずですからこのピークは爆発どころかベントとも関係なさそうです。

MP-5 MP-6
はベントや爆発との関連はとらえていません。

MP-7は3211706分に1292μSv/hを1回観測しただけで、後は数回10μSv/h以下の値を観測しただけでした。
ントや爆発との関連はとらえていません。

MP-8 

ピークは 3122110分です。
ベントや爆発のとの関連があるとは思えません。
爆発によって放射能が観測されるなら、正門付近の観測結果と似るはずだと思います。

体育館脇

ベントや爆発との関連はわかりません。

モニタリングポストでは水素爆発による放射能は確認できませんでした。爆発によって放射能は漏れていない可能性のほうが高いと思います。


いい加減な中間報告なのでしょう。
原発を続けるなら、失敗を繰り返すのは確実なような気がします。

さて、2号機のピットに漏れたものは除いて放射能が直接漏れたのは15日以降のようです。
15日に何があったか確認しましょう。
によると
3156時頃に大きな音がして4号機原子炉建屋が損傷しました。
大きな音を伴っているので爆発でしょう。
また
によると6時ころ2号機のサプレッションプール(圧力調整室)で異音が発生するとともにサプレッションプール(圧力調整室)の圧力が低下しました。
この音は4号機付近の音と後に訂正していたような気がしますが、サプレッションプール(圧力調整室)に穴が開いたのは間違いなさそうです。

もう一度、正門付近の拡大グラフを確認します。

31560073.2μSv/hだったのが650583.7μSv/hと放射能の値が跳ね上がっています。

写真もとには申し訳ないのですが・・・
の写真を少し加工させてもらいました。
ゴメンナサイ

正確な写真は画像元で確認ください。
廃棄筒と3号機を繋ぐパイプが外れています。
おそらくこのとき外れたのでしょう。
ここから3号機の格納容器からプルトニュウムを含む放射能が直接漏れたはずです。

東電(電力会社)になんかに原発をませていおいてはいけません。

*******
ところで
燃料プールはとても危険なものであることがまだわからないらしい
燃料プールの水がなくなれば手がつけられない、とんでもないことになるのです。
チャイナシンドロームが目の前で起こるのです。


電力会社はかつてこのプールを一般人に見学させていました。
テロ対策など行っていなかったのです。(バカヤロー)



2012年2月5日日曜日

南極の地上データと高層データ 気温の変化

私は奇妙な気温の上昇を体験したことがあります。
小雨が降る中、雲の切れ間から日が射したとたん気温が上がり露点が下がりました。
日が射しても小雨が降っている状態ですから地表面の温度が上がる訳はありません。
「空気が可視光を吸収する?」「露点(水蒸気圧)が下がるのは何故?」・・・・
「何故だかわからないが、エネルギー保存則は満たしているのだろう。大気中での蒸気の減少は水蒸気が液体の水になった。水になった分の潜熱が気温を上げたのだろう。」
と、真偽は分かりませんが…納得して
「ずいぶん変わった事が起こるものだ」
と思ったのを記憶しています。

筑波山のデータをみると大気の温度変化は大気や地表を冷やす要素などが複雑に絡み合っていることがわかりました。

日照によってすぐに大気が暖まるわけではありませんでした。


そして、南極のデータをみていると大気潮汐が日射より大気が暖まり軽くなって起こるとの考えは正しくないと思うようになりました。
赤外線で大気が暖まるなど第2法則に反しますので論外です。
大気が赤外線を吸収しても、大気を暖めるほどの赤外線量はもともと存在していません。

今回は南極の高層資料で気温を中心に気圧の関係をみていきます。

昭和基地のデータは気象庁のホームページから得ました
地上データ 1990~2010年 (毎時の記録が揃ったデータ)
高層データ 1989~2010

筑波山のデータは「筑波山気象・水文観測プロジェクト」からダウンロードしました。
筑波山気象・水文観測プロジェクトのホームページ
データがダウンロードできるページ
機器構成


1.南極昭和基地の気温と気圧
1-1地上気温と気圧
高層データをみる前に、地上の気温と気圧の関係を筑波山のデータで復習しておきます。
不思議な気温の三角形は、筑波山では2月と8月、昭和基地では1月に観測されました。
昭和基地と近いのは筑波山の2月だと思われますので比べてみましょう。
下のグラフは2月筑波山の気温、地表温(地表)、地中温(地温)の時刻別の平均値です。

地表の温度は昼過ぎから下がり始めますが、c領域の時間帯は地表が空気を暖め気温が上がります。
細かいことを気にしなければ最高気温は地表温と気温が交差する時間と考えてよいと思います。
気温と気圧を比べてみます。



気温のピ-クと気圧の低極の出現時間が少しずれているのが気になりますが・・
作業仮説として、気圧のへこみは気温が上がったため膨張し、水平方向へ空気が流出したためと考えてよさそうです。

一方、昭和基地の1月は


南極の大気潮汐は地上気温と全く関係がなさそうですので、上空の大気潮汐がそのまま表れたと思われます。
日本のように、日射により1500m程度まで等温位になることは南極では無いと考えてよいと思います。(後出の昭和基地12Zの温位エマグラム参照、12Zは南極では15時にあたります)
大気潮汐は、日照(可視光)を吸収して暖まり起こっているとの考え方がありますので日照も確認しておきます。


俗説的に12~15時の間に低極がでるとすると、日照と大気潮汐は直接関係がないように思えます。
(俗説的とは、日照により地表はエネルギーを24時間得ているのに何故気温が上がり続けることがなく日変化がおこるのか?答えられないからです。)

しかし、日照と直接に関係がなくとも、大気潮汐のエネルギー源は間接的に日照と考えてよいでしょう。
筑波山の気温も日照とは直接に関係ありませんが、地表や地温を通して間接的な影響を受けているのは明らかです。
また、日変化を起こす地表面を冷やす「何か」の影響も受けています。(筑波山シリーズ参照)


すると気圧もこの「何か」の影響を受けているかもしれません。

昭和の高層資料で気温と気圧の関係を調べてみましょう。
1-2昭和基地の気温高層資料
昭和基地ではグリニッジ時+3時間で生活しています。高層観測はグリニッジ時の0時(00Z)と12時(12Z)に世界中で同時に観測されます。
00,12zは昭和基地では3時、15時にあたります。ここでは日照の影響が比較的少ないので、00zのデータを中心にみることにします。
1-2-1気温
気温データをみる前に南極の日照が最大になるのは12月で6月は日照がありません。また、日本の日照が最大になるのは6月ですが、夏が8月になるのは気団が入れ替わり太平洋高気圧に覆われるためであることに注意しておきましょう。
私は南極について、何も知りませんが気団の入れ替わりがあるとは考えにくいと思います。
南極の月別の平均気温を確認します。

昭和基地の地上月平均気温は1月が一番高く、8月が低くなるようです。
標高は18.4mのようですから、海面から約20mの温度を観測しています。

月別高層の気温を見ましょう。
高層資料は高度50m200m単位でまるめました。
大雑把に200m毎の平均気温ですが、0mの温度は標高100mの温度に近いと思います。
100m程度の誤差は含んでいると言うことです。

1)1~4

私はこれほどの高さまでプロットするのは初めてです。
対流圏界面とはなにかよく分かりませんが、対流圏の上と考え常識をたよりにします。

1~4月は対流圏と対流圏界面の間で逆転層が形成され、対流圏の最低気温は標高8600~9000mで出現しています。

しかし、対流圏界面の動きはかなりダイナミックですね。


地上から逆転層までの気温は直線的に下がっています。
この気温減率を計算してみました。
    気温減率
1月 -0.563 ℃/100
2月 -0.565 ℃/100
3月 -0.538 ℃/100
4月 -0.537 ℃/100
 となりました。

気温減率の最大と最小の差は003/100m程度ですから、100mの平均気温から標高8000mの温度の平均を予想しても2.4℃程度の誤差しか生じないはずです。



1 00,12z(現地時間3,15時)の温位エマグラムをみると温位も直線的上空に向かって上がっています。
1月ですから00Zでも 日照があります。
日照があるにもかかわらず、地表付近で等温位になることはなく、超安定な大気で日射のエネルギーは見かけ上大気に供給されていません。
地上の気温が上空の気温に影響を与えているとは考えられません。
逆に、気温減率は安定(直線的)していますので上空の気温が地上の温度に影響していると考えられます。
地上の気温は逆転層の温度と高さによってきまると考えてもよさそうです。

また、00zは日照があるにもかかわらず、200m程度の冷気が溜まり、12zでも全く等温位層が上空に広がりません。
これでは、長野県や山梨県によくできる熱的低気圧は南極ではできません。

やはり、南極の大気潮汐は上空の気圧変動とみるべきだと思います。

2)5~8


6月は日照がなくなる月です。1月から日照が弱まると対流圏と対流圏界面の境界が10000m辺りから25000mに移り、8月には境界が20000m辺りまで降りてくると考えてよいのでしょうか?
点線は乾燥断熱減率の傾きを表しています。
6月の極夜からさらに冷える89月へ向かって乾燥断熱減率を示す領域が出現します。

68月を比べてみましょう。

黄色く着色した領域は温度減率が乾燥断熱減率に近く興味深い領域です。
理想気体に近く風向・風速が揃っているかもしれません。
余計な事ですが、関東で日中に地上から800m程度が等温位(等エントロピー)になると、上空800mの強風が地上でも吹くのはよく経験するところです。(現場では「混合対流が起きて、上空の風が降りてくる」と教えられました。訳の分からない理屈なので経験則と理解していました。)
ひょっとすると強風帯に対応しているかもしれませんが、風のデータはダウンロードしていませんのでわかりません。
また、高度2300mでは68月の気温が逆転しています。
月別の現地気圧を確認しておきましょう。



現地気圧は気温の高い6月が高く、気温の低い8月が低くなっています。
ちなみに0mと23000mの気圧差は
6月  963.6hPa
8月  960.0hPa
でした。・・・???
細かい事は省略しますがこのことは6月の空気のほうが暖かいのに1㎥あたりの質量が大きく、重くなっていることになります。

観測誤差??でしょうか?
今のところ根拠はありませんが、観測誤差ではなく観測事実だと思います。
このことは高さ毎の気圧について調べれば判断できると思います。
調べるのは次回にし、ここでは観測事実として進めます。


大気潮汐の考え方は、上空の大気が可視光を吸収し暖まり軽くなって潮汐が起こるとしたものでした。
しかし、現実の南極大気は温度が高いからと言っても軽いとは限らないと言うことで、空気の質量密度を変えるのは温度以外にも存在すると考えるべきだと思います。

3)9~12


日照が増えるステージで17000以上の空気の昇温が顕著で極値の高度は降りてくるように見えます。日照が最大になる12月に何かが壊れて10000m付近で逆転層が形成され、その後4月にかけ8800m付近まで降りてくるように思えます。
8月から昇温するステージを比べてみます。



8から10月にかけては20000m付近から上で気温の上昇が顕著で、10から12月は10000~23000m付近の空気の気温上昇が顕著です。
12月は日照が最大になる月です。
15000mで温度の飛びがありますが、本当か?と疑いたくなります。
何かのシステムが壊れたイメージです。
その前兆は8月は25000m、10月は20000m付近に現れているのかもしれません。


*********
長くなりましたので、高層資料による気圧は別にします。
本当に温かい空気の質量密度が大きい(重い)のかが分かるかもしれません。


雲取山避難小屋